世界を魅了した有田焼
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精磁会社製はニューヨークの起立工商会社支店やボストンのフレンチ商会を通じて全米各地で販売された。
「色絵陣幕図洋皿」精磁会社製 明治中期
本来国内のしかも宮内省に納められたものだったのだが、輸出にも向けられた。
フレンチ商会の図案の修正依頼が起立工商会社を
通じて出された貴重な資料と現物である。
立体の四方寄せのボールは更に手間暇かけた描画が施されている。瓶の形をした図が配された豪華な製品に仕上がっている。
手元にあるのはこの洋皿だけだが、図案と照合できるので資料的価値は高い。
精磁会社製はニューヨークの起立工商会社支店やボストンのフレンチ商会を通じて全米各地で販売された。
「色絵陣幕図洋皿」精磁会社製 明治中期
本来国内のしかも宮内省に納められたものだったのだが、輸出にも向けられた。
フレンチ商会の図案の修正依頼が起立工商会社を
通じて出された貴重な資料と現物である。
立体の四方寄せのボールは更に手間暇かけた描画が施されている。瓶の形をした図が配された豪華な製品に仕上がっている。
手元にあるのはこの洋皿だけだが、図案と照合できるので資料的価値は高い。
用の美がシンプル化している現代、明治伊万里は過剰装飾かも知れないが、1日にして生まれた物ではない。年月をかけ鍛え抜かれた伝統の技である。
なんでもシンプルがベストであると言う標語に扇動されてはならない。
日本の「雅」を否定する事になる。
侘び寂びが本当に理解できる人は雅を通過した人でないとわからないと思う。
比較学や学際が解らないと真の教養とは言えない。
明治伊万里の粋は装飾美である。
この精磁会社の精緻な「瓔珞」は圧巻である。
クリーマである。和風に言えば片口だ。
正に和魂洋才が具現されている。
「色絵瓔珞文乳入れ」精磁会社製 明治中期
精磁会社の製品を前に時に饒舌に、時に寡黙になるものがあるがこれは後者である。
「色絵兜唐草文洋皿」精磁会社製 明治中期
「色絵兜唐草文銘々皿」精磁会社製 明治中期
径:15cm
兜とは前たてのシンメトリーの部分に似ているところから名付けられています。
デザイン化された架空の植物なのかも知れません。
仏教美術に登場する宝相華のようなものでしょう。
それにしても、古伊万里のような華やかさはあるものの、やはり精磁会社のオリジナリティが表れています。
北松浦半島の春を告げる風物詩として「白魚漁」がある。里山には梅香が漂い長閑な光景が広がつている。
この梅尽くしの鉢は形状まで梅形のこだわりである。
図案化された梅尽くしは精磁会社製のコンセプトと思しき「動き」を感じる。
さて、この器をどのように使うかは人それぞれだろう。私は今年はまだ口にしていないが、鉢に水を張り白魚を泳がせ、踊り食いに供したい。
因みに、白魚を金網で掬い、三杯酢の入った小皿に取り、噛まずに呑み込むのが、粋な食べ方である。
明治伊万里の粋を凝縮した器もそのような使い方をされたら、さぞもって瞑すべしと言う物である。
「色絵梅花文梅形鉢」精磁会社製 明治中期
横山大観の「生々流転」と言う巻物に描かれた大作がある。
「末ついに海となるべき山水もしばし木の葉の下くぐるなり」と越山こと田中角栄は自身の壮図を詠んだ。
人の一生を大自然の移ろいに例えた芸術作品は多い。
此の扇面形の四段重も滝の流れが川となり、海に注ぐまでが、雪月花の窓絵の中に描かれている。
作者は扇面の蓋に記されている様だが、判読できない。
「染付雪月花窓絵山水図扇面形足付四段重」肥前窯 幕末期、明治初期
用の美。此れは食器である。これほど雅な器となると盛り付けが難しい。今日日の料理人が嫌う筈である。
さて、魯山人だったらどう装うだろうか!
『色絵桐鳳凰文和皿」精磁会社製 明治中期
明治6年のオーストリアのウイーン万国博覧会は総裁大隈重信、副総裁佐野常民と言う旧佐賀藩士が責任者であった。
長崎に開いた英語塾「致遠館」の教師であつたオランダ系米人フルベツキの進言で、大隈が明治新政府に画策し実現したものだった。
しかし、大隈重信は事務方総裁として国内に留まり、団長として渡航したのは佐野常民である。
万博に有田焼を出品することに関して、御用係を任じられたのは田代商會の田代慶右衛門と後に有田町初代町長に就く平林伊平の二人であった。
平林は長崎だけでなく、横浜に支店を出したり、誰よりも早く断髪した開明派として知られており、
町長時代は伊万里から有田まで運河を通す計画を持ち出し一悶着を起こした。
この様な人物であったから、海外事情にも詳しく取り扱った輸出明治伊万里に反映している。
親交があった大隈重信が有田来訪の際は平林邸に立ち寄っている。
「色絵秋草文獣耳付飾瓶」平林製 明治初期
「色絵秞下彩波濤に胡蝶と花籠文飾り皿」
深海喜三平左衛門作 明治初期
幕末から明治初期にかけて希代の名工とか海内一の
名工と謳われた深海喜三平左衛門の作である。
この皿は彼の絶筆ではないかと思われる。
それもこの皿が生まれた狂瀾怒濤の時代背景から、
「栄枯盛衰」、「諸行無常」の死生観が込められて
いると思考するからである。
彼は陶石が採れる泉山に居住していて、朝鮮陶工
深海宗伝、百婆仙の末裔であつた。
いくら名門の名工であっても上絵付け(赤絵付)は
御法度で染付絵付しか出来なかった。
そこで発明したのが「秞下彩」である。
ゴッドフリード・ワグネルが製法を伝える以前に
喜三は成功していた。
秞下彩とは下絵付けの彩色技法である。
その後、維新によって上絵付けの御禁制が解除さ
れ、喜三も念願の色絵を制作することが可能になった。
彼は明治四年に亡くなるのだが、晩年の数年のうち
にこの飾り皿を手掛けたに違いない。
これは主題の「胡蝶の夢」は荘子の哲学を具現化し
ていて、更に穿って観れば「平家」の没落を表して
いる様にも思える。
胡蝶は平家の家紋であり、一門は「壇ノ浦」の波間
に藻屑となり滅びてしまう。
波飛沫の表現に秞下彩が活かされている。
明治初期の伊万里を物語っている貴重な資料でもある。
ー蒲地識ー
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「色絵ハート形に短冊窓絵松竹梅文鶴首飾り瓶」
オールド香蘭社製 明治中期
ブラックホーソンと松竹梅、短冊窓絵、ハート形窓絵など和漢洋がハイブリットされている。
高い教養や技術を込めた工芸美術品は欧米先進国への挑戦状であった。
幕末に締結された不平等条約の改正は近代日本の悲願であった。
万国博覧会は「血を流さない戦争」と呼ばれたのはその様な背景があったからである。
明治の美術工芸品の魂魄躍動感はそこから生まれたことを現代の我々も忘れてはならない。
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「色絵竹に梅花文六角飾り皿」 オールド香蘭社製
明治中期
中国清代の「ブラックホーソン」と言う様式に倣った明治伊万里です。
欧米市場てたいへん人気があつたスタイルだったからです。
でも、やはりこの型打ち細工の六角皿は気品があります。
中国製は量産品ですので大味なところがあります。
飾り皿として輸出された「明治伊万里の粋」と云えるでしょう。
#ギャラリー花伝
#オールド香蘭社製
#型打ち細工
#ブラックホーソン
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近郊の溜池には鴨がやってきて、冬景色の主役になつています。潜水している鴨もいます。拡大して何匹描かれているか数えてみてください。
さて、この絵画調の飾り皿は明治中期、万国博覧会に出品するために製作されたものです。
写生した様な描き方は当時それまではありませんでした。
輸出に賭ける有田焼の魂が込められています。
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「明治伊万里の粋」
色絵ハート形窓絵松竹梅文獅子双耳付花瓶
オールド香蘭社製 明治中期
いわゆる「染錦」の典型的な作例です。
先ず素焼きの生地に「秞下彩」の呉須(コバルト)顔料で絵付します。
その上に釉薬を掛けて本焼「約1300°」すると藍色が発色します。ガラス状の下に沈んで見えます。
これだけで完成したものを「染付」と言います。
更に、このガラス状の上「釉上彩」に赤、黄、緑など多彩な「上絵付け」を施します。これを錦付と言います。
この工程を経たものを「染錦」と言うのです。
有田焼の華は「染錦」であり、その立体的な絵付の優雅な意匠を誇ってきました。
やはり、下準備の図案が問題で、建築で言えば設計図であり、それが無ければ名品は生まれません。
欧米市場を睨んだ、この花瓶も制作する前によく考案されたものと言えます。
陽刻された獅子は邪気を祓う意味があり、どこまでも「ハレ」の飾り壺です。
この意匠は西洋的なハート形の窓絵と日本の伝統的な文様である吉祥文である松竹梅、或いは含綬鳥などの取り合せであり、輸出明治伊万里の和魂洋才の特徴を表しています。
#明治伊万里の粋
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#獅子面