【川瀬敏郎】花の世界
今回も大変緊張感ある中での講座
1時間早めに会場に着き
いつものように
最前例をと望んだが、
すでに多くの受講生の方々が
列をくんで並んでいらした
全国から集まった受講生
お隣は京都からの女性
教室では 誰一人も声を発さず
静かに時を待つ
室内に入るとすでに壇上には6体の祝い花が展示されていた
「たてる」花
「いれる」花
毎回おっしゃる
【立てる花】
【いれる花】
立てる華は 我々人間の意志による生け方
いれる花は 花が自ずから「とまった」花
この生け方の両方の生け方の融合が【いけばな】
若い頃から
花は身近かにあった
一番古い記憶が〔おそらく卓袱台の頃だから
小学校になる前〕
母が卓袱台に染付の徳利に山野草を生けた花
母は花嫁修行として池坊のいけばなと
表千家の茶道の先生に師事させてくれた
子育て中の
30代から学び始めた【茶花】と宗徧流の茶の湯
ずっと私の日々の暮らしの一部である【茶と花】
私は テーブルコーディネートや
茶席コーディネートにも
買ったお花はほとんど使ったことがない
山野を駆け回り
庭先からの山野草や草花木を生けている
この原点は 今思えば
剣山も使わずにさりげなく山野草をいけていた
母の影響だと思う
丁寧に摘み取った草花を
針の山 【剣山】に生けることに
いつも心痛く思っていた
せっかく山野でこの世に生を享けた植物たちを
人に手で摘んできて
その草花木を針に刺すことに
心が痛んでいた
ある方にそう言うと
「草花はそんな運命だから仕方ないと。。」
そうだろうか……
そんなことをしない方法があるのではと。。。
そのような時に出逢った本が【川瀬敏郎の世界】だった
【立華】 立てる華
昔足利時代 仏教から生まれた花の生け方は
コミワラという硬く組んだ藁を 花器に詰め込み
松や梅などを立てる方法があることを知った
そのコミワラを使ったいけ方で
川瀬先生は見事に松を生けてあった
形に捉われない生け方
利休の言葉
【花は野にあるように】
利休の佗茶の花は「いける」
それは形式に捉われず 「心をいける」ことであると
川瀬先生は言われている。
多くの草花木を生けるのではなく
花は一本だけでも 充分に心をいけられる
生けるとは生きることだとも。。。
川瀬先生は流派には全く所属せず
お一人で 形に添い花文化となった【いけばな】ではなく
ご自分のスタイルでの 【なげいれ花】を提唱されている
実際に松の枝や梅を心のままにバッサリ切り
自由自在に「心をいける」実演をされている
ためらいもなく次々に切り 【立てる】【いれる】を繰り返され
その調和が見事すぎて 言葉も発せない緊張感と言葉にならない感動が生まれた
先生のお言葉一つ一つ学びの多いことだらけであったのと同時に
濃密で贅沢すぎる時間ではあったけれど
息もできないほどの緊張感と 全国から集まった私たちに
花を生けるものとしての覚悟を問いかける言葉が散りばめられ
花を生けるものとして、人として
心が痛んだのは私一人ではなかったのではないだろうか
【資質が大切】だと毎回言われて思ったことは
花に対する想いの深さと
今の日本についての警鐘であり
全てのことに通じることだと。。。
いつものように
歯に衣を着せぬお言葉のひとつひとつ
厳しい中にも 平和に浸かって生きている現代人である
私達日本人へのメッセージだと思いながら
一言も誰も言葉を発さないで教室を後にした
言葉は不要
花が全てを語っていた
息もできないほどの緊張が長く続いたが
心地よい疲労感で羽田空港に向かった
* * * * * *
写真撮影はもちろん禁止
先生の動向と発せられる言葉に
耳を傾け 目で花を追う
まるで魔術師のような
【川瀬敏郎の世界】へと惹きこまれる
研ぎ澄まされた緊張感は
いつしか 心地いい【美の世界】へと誘われていた
・
今から約20年前この
ふたつの本に出逢わなかったら
私は花に対しての考えが
定まらなかったかもしれない
出逢いは人のみではなく本の出逢いも
大切にしたいですね🌸
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